臨床エッセイ 障害者の逸失利益について考える:心理学は貢献できるか

 はじめにいくつかの文献を参照したい。

 山本(2020)によれば損害賠償とは,「何か事故があり,損害が発生すると,損害賠償が請求される。違法行為による損害を賠償するものである。(適法行為による場合は,損失の補填となる。) 賠償の方法には,現状を回復するものと,金銭によるものが有る。損害とは何か。一切の法的不利益を損害といい,財産上の不利益だけでなく,身体,自由,名誉,信用,貞操,健康等について生じた不利益も含まれる。更に,これらの不利益だけでなく,精神的な損害については,慰謝料によって賠償される。」
続けて,あまり耳にしない逸失利益について。「傷害の為に,仕事ができず,或いは仕事がし難くなって収入が減った。治療の為に,病院に通った間,仕事ができずに,収入が減った。この様な損害は,休業損害といわれていて,実際の額で上げることができる。様々な治療がなされ,症状が固定すると,それ以後の状況は,後遺症と言われる。後遺症の内で,認定されたものが,後遺障害である。後遺障害により,これまでの様に仕事ができなくなり,収入が減った。この損害については,将来に渡るものであり,逸失利益と言われている。死亡により収入が無くなった場合も,この損害は逸失利益として扱われる。」

 では,次に障害者の逸失利益について考える。

 以下は城内(2019)による。「2019年,重度の知的障害を抱えた自閉症スペクトラム障害者の遺族が,この問題を正面から争った裁判に,相次いで判決が下った。いずれも,障害者施設に入所していた被害者が,本来は施錠されて通ることができないはずの扉から外に出た結果,死亡した事案であった。施設側が提示した賠償額は,逸失利益が存しないことを明示・黙示の前提とした低額なものであり,遺族は,これを「命の差別」と訴えた。」
「人身損害に係る賠償額に極端な個人差が生じることについて,「人間の平等,個人の尊重という近代憲法の基本的精神」に反すると批判したのは,故西原道雄教授であった。筆者は,人間が「利益を生み出す道具」としての側面を現に有する以上,逸失利益に個人差が生じるのは当然であると考えており,これを差別であるとして賠償額の定額化を論じる西原説とは立場を異にする。西原説は,現行実務における人身損害賠償が「死傷を契機とする財産的 利益侵害に対する救済」となっていること(「生命や身体それ自体の侵害に対する救済」になっていないこと)を指摘するが,死傷を契機として発生する財産的損害の額に個人差があるのは,動かしがたい事実である。」

 まとめると,争点の1つは障害の有無によって人身損害の賠償に個人差が生じることが差別となるかどうか。仮に逸失利益に差があって然るべきとしても,人間存在,尊厳は障害の有無に関わらず保障され,すなわち人心損害の賠償も平等でなければならないが,現状,それは逸失利益として計算されるため,結果的に障がい者においては”命の価値”が安く見積もられるという問題がある。
 そもそも,障がい者が「稼ぐ」社会構造がないなかで,逸失利益を計算すること自体が問題であるという指摘もあるだろう。では現在,障がい者の逸失利益が減額される根拠はどこにあるのか,障害者の逸失利益はいかに算定されるべきだろうか。

「障害者手帳の取得は,日常生活にも障害故の不自由が生じていることを前提としているのであって,こうした事実は,被害者が就労にあたっても困難を抱える可能性(それ故に平均賃金を獲得できない可能性)を示すものである。実際,知的障害の有無は主として知能指数により判定されるところ,知能検査によって測られるのは,いずれも働く上で必要な能力であり,こうした能力が高いからといって稼働能力が高いことにはならないとしても,こうした能力を欠く者が仕事をする上でハンデを抱えている事実は否定しようがない。」(城内,2019)

 それはそうかもしれない。だが,前提として以下のような問題を孕んでいる。

「障害者手帳を取得した障害者が,実際には,障害者でない者と何ら変わらない社会生活をおくっているケースは,決して珍しくない。そもそも,知的障害の有無を分ける目安とされる IQ70は,正規分布曲線において100を平均とする母集団の下側2SDに位置するところ,これは,正規母集団の下側2.27%に相当する。総務省統計局 HP によれば,日本の全人口は平成30年9月1日時点で1億2641万7千人であり,その2.27%は287万人弱である。一方,平成30年度版障害者白書によれば,平成28年時点の療育手帳取得者は平成28年時点で79万5千人にとどまる。これは理論上の推計値の28%でしかないのであって,すなわち,知能指数が70を下回る者の多く(3人に2人以上)は,療育手帳を取得せず(公的には知的障害者と認定されることなく)社会生活をおくっていることとなる。実際,知能検査で測られる能力の一つが多少劣っていたとして,例えば言語理解に問題があってマニュアルを読み解くことが難しい場合であっても,仕事をしながら実地に作業内容を修得することができれば,日常業務の限り,問題なく仕事をすることができる。 障害者手帳の取得は,障害者がインペアメント(impairment)を抱えている事実を意味するに過ぎない。インペアメントの有無が,稼働能力を決するのでない以上,インペアメントを抱えている事実を指摘するだけでは,判決が障害者の逸失利益を低く算定する根拠として十分とはいえないのである。」(城内,2019)

 測っていないだけで,実は知能指数が一定の基準を下回る人は多数いる。それにも関わらず,不自由なく就労している人がいることからも,知能テストというのはその人の一側面を測っているに過ぎないというところだろうか。診断されている,手帳を持っているという理由で逸失利益が安く算定されることは問題である。
 そして,心理学はこの問題にいかに貢献できるだろうか。障がい者の将来的な就労や収入の蓋然性について信頼性と妥当性を持って評価でき,逸失利益を正しく導くことのできる心理アセスメントとはどのようなものかということは今後の課題である。

城内明(2019)障害者の逸失利益算定方法に係る一考察.末川民事法研究.第5号.17−31.
山本啓介(2020)障害者の逸失利益についての考察.高田短期大学介護・福祉研究. 第6号.13−26.

(文責:石田 拓也)

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