臨床コラム 映画「ゴジラ−1.0」に観る,環境の破壊

 昨年,ある小学生から「ゴジラ−1.0の映画観た?めちゃ面白かったよ」と聞いた私は,なにが面白いのか,なぜ−1.0(マイナスワン)なのかを知りたくなって映画館に足を運んだ。カラー版を6回とモノクロ版を1回,同じ映画を7回観ることなどこれまで私にはなかった。

 第二次世界大戦中,日本の大戸島に恐竜のような姿で上陸した呉爾羅(ゴジラ)は,数年後,米国がビキニ環礁で核実験を行った時に近海で被爆し,細胞内でエラーが起きて熱線を放射する巨大生物ゴジラに変異した。敗戦によって焦土と化した日本は0(ゼロ)に,ゴジラがそこに追い討ちをかけることでさらに−1.0(マイナスワン)になり,特攻隊の生き残りである主人公とその仲間たちが知恵をはたらかせ,勇気と未来への希望を持って,巨大生物ゴジラに生きて抗うというストーリーだ。

 40年前,私が観た映画「ゴジラ」のゴジラは怪獣そのものだった。しかし,今回の映画「ゴジラ−1.0」のゴジラは,生まれた状態0(ゼロ)から被爆によって−1.0(マイナスワン)へと変異し,戦争や環境破壊を繰り返す人間の身勝手さに,熱線による攻撃と破壊で怒りを映し返す哀しき生き物と捉えている。

 私たちは,自分の意思でこの世に誕生したわけではないし,その背景はさまざまと思われる。なんらかの理由で,ヒトの中核となる環境が破壊(侵襲)され,生まれたときの0が−1.0になってしまうこともあるだろう。心理臨床の場でこう推察されるケースを経験した私は,このたび,怒りを映し返してくるヒトの−1.0を0に戻すことは可能なのか,その先があるのかどうかを考えてみることにした。…これは容易なことではないし,かなり時間がかかることだと思うが,“抱えること”によるセラピーが可能にしてくれるのではないかと思った。セラピーで,自己が破壊され解体していくような体験をすると,クライエントさんは,なんとも言いがたい恐怖を感じるかもしれない。しかし,そこから得られるなにかがあるのでは?と想像する。

 本映画の1シーンに,ワイヤーでぐるぐる巻きにして抱えたゴジラを深海に沈める,という海神作戦があった。深海から浮上してきたゴジラが熱線を放射するため口をあけたとき,極地戦闘機に乗った主人公がそこに特攻してゴジラ内部からの破壊を達成する。ラストシーンで,私たちはゴジラから絶望を突きつけられることになるのだが,破壊され解体していくゴジラには“再生”が含まれていた。

 意識的に映画の世界とわかっていても,ゴジラがスクリーンを突き破るのでは?と錯覚するほどの爆音と破壊場面に,私はずっと緊張を強いられた。また,伊福部昭さんがつくったゴジラのテーマ音楽にも心を揺さぶられ,何度も聴きたくなった。Winnicottを学び続けている私には,映画「ゴジラ−1.0」のゴジラが,ヒトの中核となる環境の破壊を体現してくれたように感じられ,自分らしく生きるために本当に必要なものはなんなのか,そこを深く考えるよう導いてくれたなと思った。本映画を紹介してくれた小学生に,7回観た私の「面白かったよ」を伝え,感想を共有した。

(文責:作山洋子)

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