臨床コラム 相手からの恩恵にはなかなか気づけない
人と人が出会って,そこに関係性が生まれてくると,その中で色々な事が起こってくるなーと,最近改めて思います。そういった中には,心があたたかくなるような良い体験もたくさんあるでしょうし,時にはぶつかってしまったりして,腹立たしかったり辛い体験になることもあるでしょう。
私が最近思ったのは,相手との付き合いが長くなればなるほど,関係が深くなればなるほど,人は相手からの恩恵に気づきにくくなるところがあるなということです。
そばにいた時は当たり前すぎて気づいていなかったけれど,失って初めて大事さが分かったみたいなことは,割とよく聞かれるようなフレーズかと思いますが,ずっと近くにいると,自分が相手から何かしら満たしてもらっていることには,なかなか気づかないということがよくあります。
イギリスの小児科医で精神分析家のウィニコットは,赤ん坊は生まれたばかりのとき,母親が何でも満たしてくれる環境にいて,その状態では,赤ん坊は母親から世話を受けているということを自覚することができないのはおろか,母親の存在すら認識しておらず,全ては自分が作り出しているという体験の中を生きていると考えました。でも,徐々に成長する中で,母親が世話に失敗する場面が自然と出てくるようになって,そこで初めて母親の存在に気づくのだと言います。満たされている時は気づかないけれど,母親の失敗により満たされない経験をすることによって初めて,「実は母親が世話をしてくれていたのか!」と,自分ではない他者の存在を認識するわけです。
私がこの話を出したのは,深い関係の相手との間で起こっていることが,この赤ん坊の話と似ているなと思ったからです。関係が深まって,相手の存在が当たり前になればなるほど,人は赤ん坊のように,相手が居てくれることやしてくれていることによって,自分が助けられているということが見えにくくなるように思います。そして,相手が何か失敗すると,そこで急に相手の存在を強く認識することになり,相手のできていないところばかりが見えて,「あいつは何もできていない」と腹を立てたりする人もいたりします。
こういうことは,家庭でも,職場でもよく起こっているのではないでしょうか。例えば家庭であれば,夫婦が双方に「自分はこんなにがんばって○○をしているのに,向こうは何もしていない!」と腹を立てているケースなどがあるかと思います。○○には,仕事,家事,育児,節約…とか色々入るかなと思いますが,確かにその人はそれを実際にとても苦労して頑張っているのでしょう。なのに相手は自分ほどはそれを頑張ろうとしない。だから腹が立つ!というわけです。
実際にパートナーが本当に具体的には何もしてくれていないという場合もあるかもしれませんので,もちろん場合にもよりますが,自分の気づいていないところで相手がやってくれていることがあったりもするわけです。だけど人は,近しい人との関係においては,相手が失敗した部分に相手の存在を感じるという悲しい性があるために,見えないところで相手がやってくれていることにはとても気づきにくいのだろうと思います。
私も自分自身への戒めとして,そういう人の性を忘れないようにして,自分の知らない間に相手が与えてくれていることに時には目を向け,感謝する姿勢を持つことを忘れないようにしなければなと思います。
(文責:檜山 笑)