臨床コラム 記憶することと物語ること:映画『遠い山なみの光』から
映画『遠い山なみの光』は,カズオ・イシグロが1982年に発表した小説を原作として,2025年に石川慶監督によって映画化された作品である。2017年にノーベル文学賞を受賞したイシグロは,幅広い作風で知られているが,その作品はいずれも親しみやすい語り口で語られているものの,複雑で重い小説であり,常に死の匂いが漂うものである。一つの作品には様々な側面があるのは当然のことであるが,ここでこの映画を取り上げるのは,記憶することと物語ることに関連して,示唆するところの多い作品と思えるからである。小説『遠い山なみの光』は,イシグロの最初の長編作品であり,作者自身が,その時点では自分が何を書きたいのかわかっていなかったところもあった,と語っていた。
映画は,1980年頃のイギリスが最初の舞台で,女主人公悦子(吉田羊が演じる)が,娘のニキ(カミラ・アイコが演じる)の求めに応じて,30年ほど前に住んでいた長崎で,ある夏に出会った印象的な母に子,佐知子(二階堂ふみが演じる)と万里子についての思い出を語る,というものである。とはいっても,想起される30年前の長崎は,リアルな場所ではなく,夢の中のような場所である。当時妊娠中だった悦子(広瀬すずが演じる)は,夫とマッチ箱のような団地に住んでいるが,そこから見下ろせるところにバラックが一軒建っている。その近くで小さな女の子がいじめられているのを目撃したのを助けに行くところから交流が始まる。母親の佐知子は,ボーイフレンドを頼ってアメリカに行くことを夢見ているが,万里子自身はむしろここにとどまりたいと考えているようである。佐知子が万里子にあまり構わないので,悦子は万里子と関わるようになるが,万里子はほとんど懐かない。宵闇の迫る中,佐知子と猫をどうするかをめぐってけんかして飛び出した万里子を探して草むらの中を奥深く川岸まで追った悦子の手には,なぜかロープがある,それを万里子はけげんな表情で見つめる。悪夢の中にいるような,不気味な世界である。しかし,一見明るいこちら側の世界も憂いがないわけではない。表向き明るくても,被爆体験,戦争体験,敗戦と占領による価値観の転換などを抱えきれず悩んでいる人々は少なくない。悦子もその一人で,自分自身の被爆体験や,戦時中教師をしていて子どもたちを救えなかったという罪悪感もある。それでも,佐知子母子とロープウエイに乗って稲佐山に登ったときは,明るい未来が開けていると信じたい気持ちになっていた。
ニキが母親に長崎の話を語ることを求めたのは,数か月前にニキの姉で,日本で生まれた前夫との子景子が縊首自殺するという事件があり,傷心の母親を慰めるという意図があったからに他ならない。長崎の話とは,母親の悦子と娘の景子との間に,何かがあったのかを尋ねたものであるが,あなたはどこから来たのか,という始原の問いでもある。当然のことながら,悦子の語りはわかりにくいものになっていく。長崎のことを聞かれて,何故,悦子はこの親子の話をするのだろうか。たいていの映画はミステリー仕立てであり,この映画もその例に漏れない。聞き手のニキも思っただろうが,佐知子と万里子とはいったい誰で,悦子は何のためにこの話をしているのだろうか。映画を見たファンの間でも,その謎解きが一時的にブームになっていた。その疑問を抱いた人は,原作を読んだ人の中にも少なからずいたと思う。私たちはミステリーが好きなのである。疑問を抱いたニキが,家のなかで閉ざされたままになっている景子の部屋を調べてみると,悦子の語りの中で,万里子の持ち物として言及されていたものがここかしこに見つかる。万里子と景子は重なり合い,佐知子は悦子の一側面なのでないか,あるいは悦子自身であって,佐知子など存在しないのでないか,という考えが浮かび上がってくる。悦子は,景子の父親と離婚し,ニキの父親となるイギリス人男性と再婚し,嫌がる景子を無理やりイギリスに連れてきて,その後ニキが生まれているが,景子はイギリスに馴染むことが出来ず,やがて引きこもるようになり,最終的に自殺した,という背景がある。悦子には,その時点では,自分はそうすることが幸せだと思い,それが娘のためにもなると思って渡英を決断したのだが,果たしてそれは正しい決断だったのだろうか,自分はどれだけ景子の気持ちを理解していたのだろうか,という後悔の念がある。しかし,その一方で,景子さえいなければという殺意を抱いていたことも否定することは出来ないだろう。そのイメージは,景子が縊首したことでさらに掻き立てられているかもしれない。
そのように考えていくと,悦子がニキに語った物語は,イギリスに来てから,ずっと繰り返し悦子が思い返していた幻想だということがわかる。繰り返し思い返しているうちに,時間も場所もあやふやになり,自分のことなのか他人に起こったことなのかさえわからなくなってくるのは誰にでもよくあることだろうが,そのように書き換えることで悦子は心の痛みを和らげて来たのであり,これは嘘をついていることでも,偽装していることでもないのである。この反復して思い出す作業は,おそらくは景子が家から離れて疎遠になるにしたがって,一時的には緩んでいたものなのだろう。ニキに長崎のことを話して,と求められて口から出てきたのはこの物語であったのだが,景子が自殺したことで,そこにはさらに修飾が加わることになったのだろう。これは記憶であるとともに,幻想でもあるのだが,記憶自体が現在の経験や思考によって,書き換えられていくのである。つまり,記憶で重要なのは,記憶をしてそれを想起するというプロセスである。これはある種の悪夢とも言えるだろうが,その反復から私たちが抜け出すのはとても困難であり,Freudは,このことを,私たちが「死の欲動」に支配されていることの一つのあかしとしている。ここから抜け出すもっとも有効な方法は,誰かに話すことである。この作品の場合は,その物語をニキを相手に語ることで,解消することはないとしても,多少なりとも心の整理がついた,ということであるが,これはカウンセリングの原理ともなっていることである。
ところで,イシグロの書き方は「信用できない語り手」という名前で呼ばれることがあるが,語られることは,心的現実を反映したものであり,真実ではない,ということは臨床に触れたことのある人なら誰でも知っていることではないかと思う。イシグロは,そのことを意識的に自分の小説作法の中心に持ってきた,ということである。そして,「信用できない語り手」ということで言えば,語らない,ということも重要であるが,これも私たちが臨床で頻繁に出会うことである。もっともこうした技法が駆使されることで,読者は何か曖昧な,捉えどころがないイメージに浸され,私たちは答えの出ない不条理な世界を耐えていくしかないという感覚を強くするだろう。これは文学としてはとても現代的な感覚と言えるかもしれない。
この映画は,基本的にイシグロの小説に対する石川監督の読みを軸に構成されているのであるが,この映画化にあたっては原作者も関与しているので,原作者の考えも反映されているということが出来るだろう。もっとも,イシグロは新しい時代の人が自分なりに読んでくれればよい,と発言しており,「この映画は,今の世代にとっての語り直しである。」と述べている。映画化するにあたって大きく変更されたポイントは,聞き手としてのニキの存在が明確になり,悦子のモノローグから悦子とニキのダイアローグになったことである。また,悦子=佐知子という疑問が最初から提示され,それを解明していくミステリー仕立てになっている。そして小説が書かれた1980年であれば一般の記憶として共有されていた原爆,戦争などのイメージが薄れているので,それをより明確に表現する必要性が生じたことや,前を向いて歩んでいこうとする人たちと,後ろを向いて立ち止まっている人たちの対比がより鮮明になったこと(このことに関しては,今回は紙幅の関係で触れない),などが挙げられるだろう。一方,どうして悦子がこの物語を語ったのかというミステリーはこの原作小説そのものが投げかけるミステリーであるが,自分の選択が正しかったのかを問う,悦子が繰り返し見てきた悪夢だからである。
もちろん,小説にも映画にも,この軸以外のストーリーがある。そうした多層的な筋は,小説の方で顕著であり,映画ではやや整理されて語られている。これは小説と映画という媒体の違いによるものであるとともに,監督石川慶の読みを反映したものでもあるが,イシグロはそれを現代の読者の一つの読みとして是認している。小説で様々なストーリーが錯綜しているのは,自分がなにをしたいのか,なぜこの小説を書いたのかを手探りしていた執筆当時のイシグロ自身の心情を反映したものとみることも出来るだろう。どのように読むかは読者に委ねられた作業と言えるだろうが,その一つとして,石川の読みがある,ということでもある。しかし,それがさらに私たちにミステリーを投げかけることにもなる。
これは,小説の読者は,あるいは映画の観衆は,何を求めて作品に触れるのだろう,という問題に通じる。小説も映画も娯楽であるが,誰も快だけを求めて本を読んだり映画を見たりするわけではない。私たちは人生の新たな断面を知る手がかりが,すなわちミステリーを解く手がかりが見つからないかと思って,本屋や映画館に足を運ぶのだろう。そしてそこで何かが見つかることもあるが,これをWinnicottとBionは,私たちは変形transformationを求めている,と言っている。だから,ネットでこの映画についてあれこれ考察が蔓延することは,作者や監督の狙い通りであるし,この映画と小説が変形を引き起こすものとして価値があることを示している,ということが出来るだろう。そして,私たちもまた,変形を求めて動いているのである。
(文責:館 直彦)

