臨床コラム 音楽ができる人をうらやましく思う話
日本精神分析学会第69回の教育研修セミナーで精神分析と音楽について聞いたので,そこから思いついたことを書きます。
私には音楽の素養がありません。
音符は私には読めない言語の文字や記号にしか見えないし,歌を歌えば音を外し,リコーダーを吹けばピッと嫌な音が出ます。
飲み会帰りの鼻歌だってどこか調子っぱずれ。
手拍子を求められてもうまくリズムをとれないので,ズレていないだろうかと時々辺りを見回し,ズレているらしい思ったら手を叩くのを止めて,ちょっと周囲を見回してまた仕切り直すこともしばしば。
要するに音痴です。
子どもの頃はみんなが習っているピアノを習わせてもらえなかったし,学校の音楽の授業が体育の次に嫌いでした。
けれど,音楽を聴かないわけではありません。
誰がいつ作曲したとか,ジャンルはどうで,どういう技法で,とかそういう難しいことはわかりません。
私にとっては,好きか嫌いか,心地よいかどうか,どんな感じがするか,聞いたことがあるとかないとか。
そして,気に入った曲を聞き続けます。
日曜画家の端くれとして,鉛筆や筆を動かしていると,一定の?リズムで色々な音がしてきます。
行っている絵画教室ではクラシックやジャズ,ときどきユーミンやジブリ(謎の選曲)が流れています。
描いていると,BGMは背後に,代わりに他の音が前の方に出てくるような感じがあります。
すぅー,サッサッサ,ガシガシ,トントントン,トットット,ペタペタ,カチャカチャ,カタリ,ふぅー。
音痴なのでそれが音楽的にどうか,そんなことはわかりませんが,なんらかのリズムがあると思います。
それをずっと意識しているわけではないのですが,ふと気づく瞬間があって,これらの音を繰り返しているうち,画布には何かが浮かび上がっています。
私は描くものを見ていることが多いのですが,見ることを忘れて音を聞きながら,手を動かし,頭では別のことを考えるでもなく考えています。
私はこのよくわからない時間を気に入っています。
カウンセリングも毎週とかそういった頻度で,毎回決まった時間に,同じ部屋で,同じ人と会う,それを繰り返しています。
話題は同じだったり,違ったり,深まったり流れていったり,広がったり狭まったり。生活の中に組み込まれてリズムになっていくのだろうと思います。
そろそろタイトルの回収をしなくてはいけませんね。
単純に音痴だから音楽する人がうらやましいのがひとつ。
それから,身体を使うという意味では,音楽も絵を描くのも一緒なのですが,音楽の方が先立つような,ヒエラルキーが頭の中によぎったのがもう一つです。
(そういえば,陰影をつけることを「調子」というのですが,音楽でも「調子」って言いますね。やっぱり音楽ばっかり。)
とはいえ,私たちの身体が生きている限り,心臓は脈打ち,呼吸をし,細胞は大体ひと月周期で入れ替わって,リズムから逃れることはできないのですから,うらやましがったところで,ということではあるのですが。
そういう毒にも薬にもならない話です。
(文責:奧田 久紗子)