臨床コラム 治療者という人間であること
私の仕事は臨床心理士であり,患者さんに心理療法やカウンセリングというサービスを提供しています。
心理療法やカウンセリングを提供する人は,治療者,セラピスト,カウンセラーなどなど色々と呼び方はありますが,さて,みなさんはこれらにどのようなイメージや印象を持たれますか? なんとなく,治してくれそう,癒してくれそう,良い方向に導いてくれそうな人,何なら自分自身のこともよく分かっていて,人格的に優れていそうなイメージを持つ人もいるかもしれません。ちなみに,私も心理士になる前はそんな感じのイメージを持っていましたし,大学生の頃は,それを目指すとなると,なんだか果てしなく遠い道のりがあるように感じていました。
ですが,実際心理士になってみると,全然そんなことはなく,優れた人間になるわけでもなく,何も変わらない自分自身のままでした。思い返してみると,心理士になる訓練を大学院で受けていた頃,優れた人間になりえない自分自身を受け入れていくという作業を2年かけてやっていたのかもしれません。何も特別でないただの人間であるということ,喜怒哀楽があり,日常の生活に悩んだり,それなりに問題を持っていたり,泥臭い,生きている人間であるということ,それを感じながらやっています。
話はがらっと変わりますが,昨今はAIの進化が著しく,今後ますます性能が上がっていくと,色々な職業がAIやロボットに取って代わられるのではないかと言われたりもしています。心理の仕事も,いつかはカウンセリングAIやらが開発されて,このAIのプログラムに従って治療すれば,どんな精神症状も治ります!とか,どんな悩みも解消します!エビデンスでも証明されています!とか,そんな時代がいつか来るのかもしれません。AIは,人間のように個人的な問題や喜怒哀楽などを持っておらず,優れた洗練された介入をすることができるのかもしれません。治し,癒し,正しい方向に導くことができるの
かもしれません。
でも私は,生きている人間同士が出会うからこその,何かがあると思いたい気持ちがあります。人間はどこまでいっても完璧な存在になることはできないでしょう。誰しも何かしらの歪みや,それまでの人生で重ねてきた傷つきやらを抱えています。どんなに優れた治療者でもそうでしょう。訓練分析(精神分析家になるための訓練の一つで,自身が分析を受けること)を受けることである程度それらに気づくことはできるでしょうが,完璧な人間になることはどんな人にも無理でしょう。
治療者もそういった人間だからこそ,両者が出会う場で関係が生じ,時にもつれあいながらそこに意味が生まれていくのではないか,と私は思います。
どうか,いつかAIにこの仕事が取って代わられませんようにと,私は切に願っています。実際のところ,個人的な生活もありますし,これはほんとに切実なところですけども。(笑)
(文責:檜山 笑)